あるメルマガから感動した話のご紹介です。
元読売ジャイアンツ・荒川博コーチと王貞治氏による初の師弟対談です。
王氏:「思えば僕が中学二年の時、
草野球の試合に出ていたのを目に留めていただいたのが、荒川さんとの初めての出会いでしたね」
荒川氏:「そう、忘れもしないね。昭和二十九年十一月二十三日の、午後二時頃だ。
当時二十四歳だった私は毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手だったけれど、
その頃のプロ野球には秋季練習なんてなかったから、暇を持て余して近所の隅田公園へ出掛けていった。
そしたらそこに凄いピッチャーがいたんだ。
ところがその子は左で投げているにもかかわらず、打つ時になると、なぜか右で打つんだよ。
で、初めは黙って見てたんだよね。
一打席目三塁ゴロ、二打席目ショートフライ。
それで三回目の打席に立った時にね。
「ちょっと待って、坊や。君は何で右で打ってるの?本当は左利きなんだろう?次の打席は左で打ってごらん」
と声を掛けたら、
「はい」
って素直に言ったんだよ。
これがすべてのきっかけだな。
普通、それまで左で打ったこともない子が、試合中にいきなりそんなことを言われたら、
「できない」
って言うのが当たり前だよ。
ところが次の打席で左ボックスに入ったその坊やは、いきなり二塁打をかっ飛ばした。
右中間真っ二つ、ビックリするくらいのいい当たり。
私はその時に、あ、この子を、
母校の早稲田実業に入れようと思った。
そうすれば絶対に甲子園で全国制覇ができるって。
それで試合が終わるまで待って、早実に入るよう勧めたんだ。
私はともかく早実へすっ飛んでいって、こういう選手を見つけたから、二年後には何が何でも入れてくれと頼み込んだ。
ところが翌週に少年の家に行くと、お父さんからけんもほろろに断られてしまった。
「うちの子には野球なんかやらせない。両国高校へやって東大に行かせるんだ」
って。いや、これは頭がいいんだなと思ったね。
でも私はそこで諦めなかった。
人生には「もし」ということがある。もし落っこちた時はどうすんだ、と。
そこで近所の知り合いのオヤジに
「もしあそこの家の子が受験に落ちた時には、俺のところへ知らせてくれ」
と頼んでおいた。
そしたら結果的に志望校を落ちて、早実へ入ることになったんだな。
しかし、それにしてもあの時、左で打てと言われて
「はい」
って答えた素直さね。
これが王の一番のいいところであって、それが今日の成功をもたらしたんだよ。
この「はい」が。
だから私はいつも
「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人だ」
と言うんだよ。
これがもう第一条件なんだよね。
王はその後も、私に口答えしたことは一回もない。
やっぱり素直さが大切ですね!
とてもいい話だったのでご紹介しました!
決してブログのネタ切れではございません(笑)
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